2011年11月16日水曜日

コルカタのドゥルガー・プージャー、その二

ドゥルガー・プージャーは、その名の通りシヴァ神の后とされるドゥルガーを祭るお祭りなのですが、面白いのは、この期間、町の至る所に上の写真のような「パンダル」と呼ばれる即席のお社ができるということ。ちょうどアレです。日本でもお盆になると、各町内会で盆

コルカタのドゥルガー・プージャー

大分ご無沙汰しておりました。コルカタに行っておりました。

と、もうしますか、コルカタに2ヶ月ほど滞在したのち、日本に帰って来てしまいました・・・。長いようで短かったですね、一年というのは。チャンスがあれば、是非またイン

2011年6月1日水曜日

2:1

 「ポンディの花嫁」の記事でもすこし触れましたが、ポンディシェリは、小さな運河をはさんで、海側3分の1が旧フランス人居住地域、残りの3分の2が旧インド人居住地域だったそうです。黄緑とクリーム色で色分けされた上の写真をみると、その別々具合(?)がよ〜

実験

パノラマ写真を撮ってみました。うまくアップできるかな?

ポンディの花嫁

ポンディシェリ(プドゥチェリ)に行ってきました。もともとフランスの要塞があったところだけあって、町の東側3分の1くらいにあたる旧フランス人居住地域は、今もどことなく地中海沿岸の町を思わせるようなたたずまいを残しています。町には三つのキリスト教会が

2011年4月29日金曜日

うきうき

日本を発ってシムラーに戻る途上、帰りの鉄道/バスの切符がとれず、しばらくデリーに滞在することになりました。日がな一日宿舎にこもっていても仕方ないので、この機会にと、デリーをぶらぶら歩き回ることに。で、インド門の脇を歩いていたらやにわに空が暗くなり・・・突然の雷雨。いよいよ雨季が近いようです。

でもやっぱり

食べるのはカレー・・・w
日本のカレーライスの方がうまいんだよなぁ、実際。

どさ?ゆさ!


三月の終わりから四月の中頃まで、三週間ほど日本に一時帰国していました。ええ、ちょいと野暮用がございましてね。・・・なんていうと”お上”に怒られてしまいますが。震災のあとの節電励行期間だっただけあって、街の中が暗いなぁ、というのが第一印象でしたが、滞

2011年3月22日火曜日

こんな崖崩れも日常茶飯事なんだそうで。

先週末、またまたヒマラヤの奥地に入っていたのですが、さすがにこの辺りになると道も狭く、舗装などももちろんされていないので、移動はとにかく困難を極めます。おまけにこのとおり、崖崩れもしょっちょう。これで足止めをくらうと、復旧まで一時間待ちくらいは当たり

さくら咲く

インドは今がさくらの季節です。
・・・って、さくらですよね、この花?

2011年3月17日木曜日

アグンベーの夕景

カルナータカ州の西南にあるアグンベーという村の近くに、夕日鑑賞スポットがあります。西ガーツ山脈の西側斜面を走るハイウェイに作られた展望台なのですが、この日も夕焼けを見に沢山の家族連れが集まっていました。アイスクリームや果物を売る屋台も出ています。いよい

テキトーにイイ加減なのがインドのいいところ・・・?(4)

こうなってしまうという・・・
公用車なのに、こんなのでいいのでしょうか?www

テキトーにイイ加減なのがインドのいいところ・・・?(3)

こうなって・・・

2011年3月11日金曜日

テキトーにイイ加減なのがインドのいいところ・・・?(2)

こうなって・・・

テキトーにイイ加減なのがインドのいいところ・・・?(1)

シムラーの街角に三台並んで止まっていた消防車のドアに描かれていたライオンの紋章のイラストが三者三様で、しかもかなり「テキトー」だった件。

まずは本物。サールナートの考古学博物館にある、アショーカ・ピラーの柱頭。これが・・・

※画像はKonnichihaさんのサイト(http://blogs.yahoo.co.jp/saidakyoko/40743972.html)からお借りいたしましたものを、少し加工して使用させていただいています。

2011年3月1日火曜日

寄らば・・・ その二

前述の世界最大のバニアン樹を少し引いた所から。この大木、もとは一本の幹から広がったというのですから、驚きです。

寄らば大樹の陰

コルカタのフーグリ川西岸にある国立(?)植物園に行くと、世界最大のバニアン樹を見ることができます。実のところ、カルナータカから直接シムラーに帰らず、わざわざコルカタまでやって来たのはこのバニアン樹をカメラにおさめるためでもあったのです。ええ、バニアン樹はウチの研究会のシンボルですからね。お仕事、お仕事・・・とw。

このバニアン樹という木は、一本の幹から枝が広がり、その枝から樹皮?が下に垂れ下がっていって、垂れ下がった樹皮が今度はそのまま幹のようになる、という面白い性質をもった樹木でして、その様子は上の写真でもご覧いただけると思います。枝から生えた幹(?)が、緑の屋根を支える列柱のように立っているのが面白いですよね。

ただ・・・、ここのバニアン樹、実は元々の幹はすでに何十年も前に朽ちてなくなってしまったのだそうで。中心の大木から放射上に伸びた枝と、その枝に連なる列柱のような幹という絵を期待していたので、、、ちょっと「拍子抜け」でした。

2011年2月23日水曜日

シュリンゲーリの少女

シャンカラ派の四大本山(?)の一つ、シュリンゲーリの寺院にての一枚。

これは銅像ではないけれど

シルエット繋がりということで。コルカタの町の中心を流れるフーグリ川に浮かぶ船にカメラを向けてみました。

もう一つ、シルエット

高等裁判所前に立っていた銅像です。誰の像なのかは分かりません。たぶん、えらい人のですw

凝る肩・・・

で、今は西ベンガル州のコルカタに来ています。インドは町中に沢山銅像が建っているのですが、どれもなかなか姿形がキマっています。これはパークストリート入り口のネルー像。鳥が重くて肩が凝っている訳ではないでしょうけれどもw

凝るな〜肩・・・

ではなくて、南西インドのカルナータカ州を先週訪問していました。ご覧の通り見るからに「南国」。椰子の木や赤茶けた色の屋根の瓦など、石垣島とかの風景に似ているんじゃないかな、と思いました。行ったことないけど、石垣島・・・

2011年1月29日土曜日

朝靄のガンガー


お顔もピンク!


ダライ・ラマ法王の法座で通訳を聞くのに必要なFMラジオを買おうとバラナシまで来てみた日のこと。ガート近くの商店街を歩いていたら、「おまえ、日本人!?日本人だろ?」と、日本語で”気さく”に声を掛けてきたこの青年。聞いてもいないのに「ピンク。わたしピンクね!ピンクだからピンクの服きてるのね」と服装の解説つきで名を名乗る。「ガンガーいく? 一人、危ない。ジャンキーいっぱい」というなり、「こっちね、こっち」と、こちらの事情などお構いなしに、ズンズン裏路地を進んでいく。(・・・まいったなぁ)と内心思いながら、取られた手に引っ張られながらあとをついて行くと、「イケメン祭り」のダシャシュヴァメーダ・ガートに到着。「お祭りね、お祭り。おまえ、これ見に来たんだろ?」・・・いや、こんなお祭りやってるなんて知らなかったし(苦笑) まぁ、結構イイやつだったということで。

その後、目的のFMラジオを「現地人価格」で買ってもらったりしながら商店街をぶらぶらと小一時間。おなかもすいてきたので、「今日はいろいろお世話になったから、ディナーおごるよ」といったら嬉しそうについてくる彼。ホテルのレストランに案内され、テーブルにつき、メニューをみると、なんだかこの日だけはやけに”キングフィッシャー”の名前が光って見える(笑)。「日本人はビールをよく飲むんだけど、インド人はお酒飲まない人多いんだよね?ピンクはビール飲む?」と聞いたら、「ビール飲むよ。毎日飲んでるよ!」「じゃ、今日も飲む?」「飲む、飲む!」ということで、とりあえず中瓶を一つずつ頼むことに。乾杯!とやって、グラスを傾け始めるなり、彼の顔がみるみる赤く・・・。あ〜あ、飲みつけないのに、強がっちゃって、もう・・・。一杯で完全に出来上がってしまいました。インドまできてヨッパライの介抱をすることになるとは(笑)

後日、知人に写真をみせながらこの時のことを話したら、「バラナシで、日本語で声かけてきたインド人について行った日本人が身ぐるみはがされて帰ってきた、って話ならよく聞くけど、声かけて来たインド人を酔い潰して送り帰したなんて話、初めてきいたよ!」と。まぁ、酔い潰すつもりはなかったんですけどね。

ピンク君とは今もとてもなかのいい「お友達」です。ええ、だって弱みを握っていますから!
※プライバシー保護のため、メンが割れないよう、写真には目線をいれています(笑)

イケメン祭り

ガンガーに臨む数あるガート(沐浴場)のなかで最大のものがダシャシュヴァメーダ・ガートです。ここでは毎日夕方の6時くらいから(日没?)、ガンガーに捧げる祭祀(プージャー)が行われています。階段状のガートの縁に沿って、5〜6人くらいの男性が衣装を身にまとい、灯火を振り回しながら踊るのですが、、、これがまたイケメンぞろいでw