2021年2月11日木曜日

先住民族の言葉には、気候変動の危機から私たちを救う知恵があります(#1)

スワースモア・カレッジの言語学の教授であり、ナショナル・ジオグラフィックのエクスプローラーでもあるデイヴィッド・ハリソンが、タイムス・エヴォークでスリジャナ・ミトラ=ダス氏にインタビューしました。著名な学者で辞書学者でもあるスリジャナ・ミトラ=ダス氏は、土着言語の特殊性や、それがいかに文字によるコミュニケーションよりも優れたものであるか、そしてインドのアルナーチャル・プラデーシュ州から広まったコロアカ(コロ語)の驚くべき旅について語ってくれました。

2011年11月16日水曜日

コルカタのドゥルガー・プージャー、その二

ドゥルガー・プージャーは、その名の通りシヴァ神の后とされるドゥルガーを祭るお祭りなのですが、面白いのは、この期間、町の至る所に上の写真のような「パンダル」と呼ばれる即席のお社ができるということ。ちょうどアレです。日本でもお盆になると、各町内会で盆

コルカタのドゥルガー・プージャー

大分ご無沙汰しておりました。コルカタに行っておりました。

と、もうしますか、コルカタに2ヶ月ほど滞在したのち、日本に帰って来てしまいました・・・。長いようで短かったですね、一年というのは。チャンスがあれば、是非またイン

2011年6月1日水曜日

2:1

 「ポンディの花嫁」の記事でもすこし触れましたが、ポンディシェリは、小さな運河をはさんで、海側3分の1が旧フランス人居住地域、残りの3分の2が旧インド人居住地域だったそうです。黄緑とクリーム色で色分けされた上の写真をみると、その別々具合(?)がよ〜

実験

パノラマ写真を撮ってみました。うまくアップできるかな?

ポンディの花嫁

ポンディシェリ(プドゥチェリ)に行ってきました。もともとフランスの要塞があったところだけあって、町の東側3分の1くらいにあたる旧フランス人居住地域は、今もどことなく地中海沿岸の町を思わせるようなたたずまいを残しています。町には三つのキリスト教会が

2011年4月29日金曜日

うきうき

日本を発ってシムラーに戻る途上、帰りの鉄道/バスの切符がとれず、しばらくデリーに滞在することになりました。日がな一日宿舎にこもっていても仕方ないので、この機会にと、デリーをぶらぶら歩き回ることに。で、インド門の脇を歩いていたらやにわに空が暗くなり・・・突然の雷雨。いよいよ雨季が近いようです。

でもやっぱり

食べるのはカレー・・・w
日本のカレーライスの方がうまいんだよなぁ、実際。

どさ?ゆさ!


三月の終わりから四月の中頃まで、三週間ほど日本に一時帰国していました。ええ、ちょいと野暮用がございましてね。・・・なんていうと”お上”に怒られてしまいますが。震災のあとの節電励行期間だっただけあって、街の中が暗いなぁ、というのが第一印象でしたが、滞

2011年3月22日火曜日

こんな崖崩れも日常茶飯事なんだそうで。

先週末、またまたヒマラヤの奥地に入っていたのですが、さすがにこの辺りになると道も狭く、舗装などももちろんされていないので、移動はとにかく困難を極めます。おまけにこのとおり、崖崩れもしょっちょう。これで足止めをくらうと、復旧まで一時間待ちくらいは当たり

さくら咲く

インドは今がさくらの季節です。
・・・って、さくらですよね、この花?

2011年3月17日木曜日

アグンベーの夕景

カルナータカ州の西南にあるアグンベーという村の近くに、夕日鑑賞スポットがあります。西ガーツ山脈の西側斜面を走るハイウェイに作られた展望台なのですが、この日も夕焼けを見に沢山の家族連れが集まっていました。アイスクリームや果物を売る屋台も出ています。いよい

テキトーにイイ加減なのがインドのいいところ・・・?(4)

こうなってしまうという・・・
公用車なのに、こんなのでいいのでしょうか?www

テキトーにイイ加減なのがインドのいいところ・・・?(3)

こうなって・・・