2021年12月31日金曜日

★ラージャマウリ監督独占インタビュー:私の家族は冷酷な批評家で、気に入らなければ私の作品を容赦なく破り捨てる(#218-上)】

S.S.ラージャマウリ監督は、『ヤマドンガ』、『マガディーラ』、『イーガ』などのハイ・ファンタジー・ドラマで、とりわけ南インドの観客を釘付けにしてきた。しかしこの監督が脚光を浴びるようになり、その猛烈な仕事ぶりと想像力が世界に知られるようになったのは、『バーフバリ』の大ヒット後にすぎない。

ラージャマウリ監督とそのチームは、ラーム・チャランとJr NTRという南インドの2大スターを起用した大作『RRR』で、再びスクリーンに魔法をかけようとしている。映画の公開に先駆けて、監督にインタビューを行った。ラージャマウリ監督は、ETimesとの自由な対談の中で、『RRR』制作のアイデアがどのようにして生まれたのか、最大の批判者は誰か、オミクロン株流行の緊急事態の中で映画の公開日がどうなるか、などについて語っている。インタビューの一部を抜粋して紹介する。

 

『バーフバリ』のような完全フィクションの映画を観客に披露した後で、2人の実在の人物を絡ませたフィクションの物語を作ったのはどうしてですか?

 そのポイントが私にとって、『RRR』で一番、心沸き立つ部分なのです。私たちは伝記映画、別の言葉でいえば、フィクションの物語を作るのですが、そこに私は素晴らしいチャンスを見つけました。というのも、別々の道を歩んでいる二人のキャラクターが登場してきて、その二人の人生のどちらにも、その間に何があったのか誰も知らない期間があるのです。これは美しい偶然です。私はその時間軸にあてはまる形でフィクションの物語を作って映画にできないだろうか、と考えました。そのアイデアは私に火を着けました。アイデアを、映画のストーリーライターである父・ヴィジャイェーンドラ・プラサッドに話したところ、彼も素晴らしいと思ってくれて。二人で一緒に座って『RRR』を考えたのですが、私にとってはこれが、この映画の最もエキサイティングな部分です。

 

RRR』製作に多くをつぎ込んできて、監督はいまどのような心境でしょう?興奮していますか、不安に思っていますか?

 私はこの映画に超興奮しています!そして、自分の仕事が終われば神経質な部分も出てきます。私は、自分の手元の仕事が終わってからリリースまでの間のわずかな隙間時間に、心配事が出てくる性質なのです。今はまだ、映画のためにやり残している仕事が少しだけ残っているので、その緊張感からは、1パーセントくらいかな、離れることができています。そのようなわけで今この時点では、興奮しています。でも、公開日が近づけば、不安が出てきますよ。

 

前作『バーフバリ』では観客の共感の具合が従来とは大きく違っていましたが、『RRR』でも同じようなマジックを起こせると確信していますか?

 人々が『バーフバリ』に共感したのは、人々を惹きつけるような人間的な感情や瞬間があるからでしょうね。人々はそのような経験を覚えていて、「『バーフバリ』のような別の作品を見たい」といった声をあげるときに皆が思っていることは、誰もが同じような種類の感情や経験を必要としている、ということなのです。私が『RRR』に自信を持てるのも、その点があるからなのです。私も同じような人間らしい感情を持っています。人並み以上ではないとしてもね。そして、より多くの映画的瞬間が観客の心をつかむことになれば、そのことは私に映画に対する自信を持たせてくれます。マジックの内容は異なるでしょうけれど、マジックはきっとありますよ。


映画の配役を決定する際に、どのような点を考慮していますか?

 それを決めるのは脚本です。今作『RRR』でもそうですが、映画の脚本が完成したならば、そこには沢山のアクションシーンがあり、沢山の感情を揺さぶるようなシーンが書かれていることでしょう。だから私はキャラクターには、体調を万全に整えられる役者で、演技力だけでなく、脚本が要求する強い感情を持った役者を求めました。私は、条件にぴったり合ったラーム(ラム・チャラン)とビーム(タラク)を知っていた。彼らを選んだ理由はまさにそれです。アジャイ サー(アジャイ・デーヴン)とアリア(アリア・バット)についても同じです。アジャイ サーのキャラクターは、この映画の魂と言っても過言ではありません。多くの感情を押し殺して、それを目で表現しなければならない。彼の顔やキャラクターには誠実さがなければなりませんが、私はその答えをアジャイ・デーヴンに見出したのです。また、アリアには、とても柔らかく壊れやすい、ガラス人形のような人物を求めていたのですが、実際の彼女は全くそんなことはなかった。彼女はダイヤモンドです。彼女は、2つのスーパーパワーを封じ込め、ひとつにまとめることができるほど強い。脚本がそのような役者を求めていたので、私はそれに応えました。

 

監督の意図を汲んでくれる俳優は誰でしたか? ラーム・チャラン、Jr NTR、アジャイ・デーヴン、アリア・バット あるいはシュリヤー・サラン

 みんな監督の意図を体現してくれる俳優でしたが、演技に対するアプローチは全く異なっていました。タラクはすべてを頭の中に入れています。セリフはもちろん、以前に交わした会話もすべて覚えていますし、私が与えたナレーションもすべて覚えていますし、彼が撮影に臨むときには、自分が何を表現しなければならないかがすでに決まっていて、私が指示する必要はありませんでした。10回のうち9回は、私は彼に言葉をかける必要も、演技を修正する必要もありませんでした。彼は、何であれ、必要とされるちょうどそのことを表現してくれます。一方、チャランの場合は全くそれとは違っていて、彼は心を完全にすっきりさせておいて、白い紙、何も書いていない黒板のようになる。彼は私のところに来て、『来ました。ここにペンがあります。あなたは私に好きなことを書いてください、あなたは私を好きなように動かしてください』と言うのです。彼はそれを完璧にこなします。そのような訳で、役者としてのアプローチは異なりますが、結果は同じになります。アジャイ・サーとアリアも同様で、彼らは監督が何を求めているかを理解し、それを体現するのです。

 

一番の批評家は誰ですか?

 私の家族全員です。彼らは冷酷な批評家で、絶対的に冷酷です。私は彼らの父親であり、息子であり、夫であり、兄弟であるにもかかわらず、何か気に入らないところがあれば、私の作品を容赦なく破り捨ててしまうんですよ(笑)。彼らは最も過酷な存在で、他の誰もその足元にも及びません。でもそうでありながら、彼らは私の「強み」でもあります。彼らは私を正しい方向に導いてくれるので、私は彼らから学びを得るのです。


映画の予告編を見ると、アクションシーンや感動的なドラマが満載で、とても素晴らしいですね。そこで、ラージャマウリ監督の作品を、暴力描写の多いハードコア・アクションと呼ぶのは正しいのでしょうか?

確かに、暴力は私のストーリーテリングの一部ですけれど、ネガティブなものではありません。暴力的であろうと、ソフトであろうと、その他どのような種類の感情であろうと、それら一つひとつのすべてについて、私は自分を「虫眼鏡」と呼びたいと思っています。私は自分の感情を増幅することが好きなのです。そして、同じ感情でも、アクションがあれば、それはずっと増幅され、何かが周囲を走り回っていれば、爆発すると感じるのです。日常を超えた効果を出すことができる。それが私のストーリーテリング手法なのです。私はそういう風に映画を見たいし、そういう風に映画を作りたいと思っています。


(【下】につづく)

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